今日は、お茶のお稽古でした。
まだ新年が空けて間もないので、干支のねずみのお話があり、「嫁が君」という言葉を教えていただきました。
「嫁が君」とは、ねずみの別称。
普段は忌み嫌うねずみも、正月三が日くらいは追い立てたりせず、屋根裏にごちそうを置いてあげて共に祝おうというような意味が込められているそうです。
しかし、今、一般家庭でねずみを見かけることって、ありませんよね。
私が子供の頃は、飼い猫がねずみの赤ちゃんをくわえてきて、びっくりしたことがありました。
ねずみ捕りのしかけも見たことがありますし、「ねこいらず」というねずみ駆除の毒薬もおぼろげに記憶しています。
タイやベトナムでは、市場でドブネズミを見かけることは珍しくありません。
息子たちが夏休みに父親の赴任先のベトナムに行った時、市場に買物に行って一番印象に残ったことは、側溝を走り抜ける大きなドブネズミだったそうです。
日本は、都市のインフラや衛生管理が進み、市場でもねずみを見かけることはあまりないような気がします。
ねずみといえばねこ。
実は、日本では、野良猫も激減しています。
聞いた話ですが、今いる野良猫が寿命を全うしたら、その次の代の野良猫は生まれないような対策が取られているそうなのです。
もちろん、野良犬に対しても、公的な対策が取られてきましたので、いつの間にか野良犬を身近に見かけることがなくなりました。
子供の頃は、まだいました。
集団登校の時、野良犬が怖かったけど、登校班の上級生が守ってくれたことを今でも覚えています。
タイでは、路上にも、駅の構内にも、オープンエアのレストランにさえも、明らかに病気らしい野良犬が寝そべっていました。
狂犬病もまだあるので、結構こわかったりします。
先日参加した「旅する読書講座」で、言葉を獲得する前の子供、言葉によって世界の概念を明確に分断する前の子供は、人間以外の生き物や、無生物さえも自分の仲間と認識しているということでした。
講座の中で、今、野良猫や野良犬をなくす方向で対策が取られていて、ほぼ町中でこれらを見かけることはなくなったというお話がありました。
ドラえもんなど、昔からあるマンガで、主人公が野良犬に追いかけられるシーンは、今の子供には実感としてわからない。
町中で出会った猫や犬と、心を通わせる経験はないんだということに思い至り、なんとも複雑な気分になりました。
私の世代でも、キツネやタヌキやクマは、物語の中だけで出会う動物です。
今の子供たちにとっては、ネコやイヌは人に飼われているものであり、ネズミや野良猫、野良犬も、実感のない物語の中の生き物になっているのでしょうか。
私たちの暮らす環境が、安全で衛生的になっていくことはありがたいことですし、野良犬や野良猫が増えても困りますが、なんとなく寂しさを感じてしまう自分もいます。