こんにちは!
大人に絵本を読んでいる、絵本セラピストらくちゃんです。(プロフィールはこちら)
毎月、オンラインで絵本セラピーを開催しています。(絵本セラピーってなに?)
そこで読んだ絵本からいろんなメッセージを受け取り、面白いなぁ~と思ったので、ご紹介します。
「むらの英雄」はこんなお話
今日ご紹介するのは、この絵本。
「むらの英雄」(わたなべしげお:文 にしむらしげお:絵 瑞雲舎)
むかし、アディ・ニハァスという村の12人の男たちが、粉をひいてもらうために、マイ・エデガという町へ行った。
出版社ホームページより引用
帰り道、一人が仲間を数えたが、自分を数えるのを忘れたので、11人しかいなかった。
「たいへんだ! 誰かがいないぞ! 」
さてそれからどうなった?!
読み聞かせに楽しいエチオピアの昔話です。
他の男も数えてみたが、やはり自分を入れなかったので、11人しかいない。
男たちは大騒ぎ。
いなくなった男は誰だ?
きっとヒョウにおそわれて、食われてしまったに違いない。
かわいそうなことをした・・・
村に着いて、この悲しいお話を涙ながらに伝える男たち。
しかし、彼らが持ち帰った粉の袋が12あることに、村の女の子が気がつきます。
「おかあさん、ふくろは12あるよ。12人の人がいるはずよ。」
男たちも村の人たちも気がつきました。
「本当だ、12人いる。」
「あいつは一人でヒョウのむれをやっつけて、戻ってきたぞ。」
「そんな勇ましいやつが、この村にいるなんて!」
ということで、この村には、一人の強くて勇ましい英雄の話が、伝えられるようになったとさ。

それって、ほんと? 信じることと、疑うこと
この時の絵本セラピーのテーマは、「それって、ほんと? 信じることと、疑うこと」でした。
私たちが信じていることって、本当に本当?
情報をうのみにする危うさや、思い込みの恐ろしさについて考えてみようと思いました。
この絵本、物語として聞く分には、笑っちゃうようなお話ですが、私たちにもこういうこと、あるのかも!?
思い込んだら、それを強化するような想像が次々とわいてきます。
みんなでそれを信じたら、それがあたかも事実であったかのように、言い伝えられ、記録に残り、歴史になっていたりして。
一体、何が本当なのか。
世の中の正義も正解も、いったん疑ってみた方がいいかもしれませんよ。
そんなことを思って、プログラムに入れました。

人は違う世界を見ている
ところで、この絵本を何度も読んでいるうちに、こんなことにも気がつきました。
「一つの出来事から、みんな違う世界を見ている」
人数を数え間違えた男たち、一人いなくなったと思いこみました。
そして、そのいなくなった男は、ヒョウにおそわれて食われてしまったのだろう、と。
ここまでは、みんな同じ思い込み。
その先、どんどん妄想がふくらむのですが、
「もっと気をつけてやればよかった」と悔やむ男がいます。
また、「ものすごく大きなヒョウだった」「でっかいばかりか、きがふれたメスのヒョウだった」と、見てもいないヒョウに想像をめぐらす人たちもいました。
「あいつは、武器ももたずに、勇敢に戦った」「怖いなんて、一言も言わなかった」「親切で優しいやつだった」と、いなくなった男の人物像を思い描く人も。
さらに、「残されたおかみさんは、なんというかなぁ」「かわいそうな家族じゃないか」と、いなくなった男の家族を憐れむ人もいました。
ひとつの出来事(または思い込みや勘違い)から、見ている世界は人それぞれ。
だから世の中は多様で面白いし、この物の見方の違いも、その人「らしさ」なのでしょうね。
さて、もし私がこの12人の中にいたら、仲間がいなくなったと思ったとき、一体なんと言うでしょう。

絵本の絵も読む
ほんの30ページほどの、短いお話から、いろんな読み解き方があるものだと、あらためて思いました。
そして、この絵本、絵も魅力的なんです。
西村繁男さんによる版画だそうですが、7ページから19ページまで、男たちが「いなくなった男」のことを空想(妄想?)している絵が続いています。
粉袋をかついで歩く男たちの道中、途中でヒョウが現れ、おそわれ、戦い・・・
それを語る男たちの口から吹き出しのように描かれ、展開していきます。
絵本なので、ページをめくって見るようになっていますが、実はバラバラにして並べてみると、1枚の長い絵巻物のようにつながる構造になっています。
なかなか凝った構成に、思わず何度もめくったり、戻ったりしながら読んでしまいました。
ぜひ、実際に手に取って読んでみてもらいたい作品です。