先日見に行った、福音館書店の月刊かがくのとも創刊50周年記念「あけてみよう かがくのとびら展」で見つけたこの2冊がすごかった!

アリになった数学者
森田真生:文 脇阪克二:絵
福音館書店 たくさんのふしぎ傑作集

絵とき ゾウの時間とネズミの時間
本川達雄:文 あべ弘士:絵
福音館書店 たくさんのふしぎ傑作集
どちらも裏表紙に「小学中級から」と書いてありますが、小学3~4年生の子どもにこの世界観がわかるでしょうか。
数学者、生物学者が書いたお話だけど、専門的な知見というよりも、むしろ哲学的ともいえる視点。
「アリになった数学者」は、ある数学者が、「ボクは、アリになってしまった。」というところから始まります。
なんてシュールな設定。まるで、カフカの「変身」のようです。
アリになって、見る世界。感じる世界。体験する世界。
アリの世界に数はあるのか?アリの世界の数学はどういうものなのか、仲間のアリや女王アリとの対話の中で考え、気づいていきます。
一粒の朝露がてらし合う無限の数。
その中には、悠久の時間さえも存在している。
「たとえばあそこの露には、百五十年まえ、オーストラリアの渓流の一部だった水がはいっている。
あっちの露には、三千年前、南インドの地中深くに眠っていた水もふくまれている。」
女王アリは言います。
「わたしたちにとっての数は、人間の知っている数とはちがう。
わたしたちにとって数には、色や輝きや動きがあるの。
まぶしいくらい白い1もあれば、すばやくて青い1もある。」
人間の数学者の数の概念とまったくちがう概念を持つアリの数学があるというのです。
私がもともと数学が苦手だからというわけではないのでしょうが、なんだか壮大で抽象的な世界をつきつけられ、クラクラします。
数学者は、「アリには人間の数学はわからない。だが、それとおなじくらい、人間にはアリの数学がわからない。」ということに気づきます。
今まで研究してきた数学は、宇宙の中にある様々な数の概念のほんの小さなかけらなのかもしれない、ということに気づいた数学者は、「ぼくは、小さなアリになってはじめて、大きな数学の宇宙の入り口にいた。」と言います。
なんだかとてつもなく壮大で漠然としたイメージに途方に暮れてしまうような感覚を覚えるのは、私がおとなであり、自分なりの数や数学の観念を持っているからでしょうか。
子どもだったら逆に素直に抽象的な数の宇宙を受け入れ、アリにはアリの数学が、木々には木々の数学があるよね、って思うのでしょうか。
なんとも深く考えさせられる一冊でした。
もう一冊の本、「ゾウの時間とネズミの時間」は、これまた壮大なお話。
「体の大きさがちがったら、食べる量はどうかわるか」という問いの検証から始まります。
小さなネズミから、大きなゾウなで、食べる量を比べると・・・
体重と食べる量のあいだには、きまった関係があるのですが、単純に比例しているわけではないようです。
体重1lgあたりの食べる量を計算すると、大型動物ほど少食だということがわかります。
ここから、大きい動物と小さい動物の違いをいろいろ検証し、生命サイクルの違いと同一性を導きます。
たとえば、心臓が1回打つ時間と体重の関係をグラフにしてみると・・・
ネズミでもゾウでも、体重に関係なく、息を1回すってはくあいだに、心臓は4回うつことがわかります。
ゾウはゆっくり呼吸する。
ネズミはせかせかと呼吸する。
ネズミは短命で、ゾウの方が長生きに見ええるけど、実は一生の間に心臓がうつ回数は同じだというのです。
ネズミの一生は数年。ゾウはその何十倍も長く生きる。
ネズミはすぐ死んでしまってかわいそう?
人間の時計を使ってみたらそうかもしれません。
でも、心臓が1回うつ時間を基準にすれば、みんなまったく同じだけ、生きて死ぬことになるのです。
ネズミにはネズミの、ネコにはネコの、イヌにはイヌの、ゾウにはゾウの時間があり、それぞれの動物はそれぞれの時間の中で生きている。
そんなこと、考えたこともなかった。
また一つ、世界を見る新たな視点を得られました。