私とタイとタイ語
タイとの出会いで、人生が動き出した
初めてタイを訪れたのは、28歳のとき。当時勤めていた会社の同僚と、夏休みにどこか旅行へ行こうという話になり、時間的にも予算的にもちょうどよかったのが、たまたま選んだタイのプーケットでした。
それまで、タイという国には特別な興味も縁もなかったのですが、訪れてみて、一瞬で惹きこまれました。リゾートの美しさはもちろん、雑多な街の風景や南国特有のゆるやかな空気、人々の笑顔、そして何より、タイ語の優しく耳に心地よい音と、かわいくて不思議な形の文字に心を奪われました。
初めて訪れたのに、なぜか懐かしいような、帰ってきたような気持ちになったのです。タイの空を見上げながら「これは子どもの頃の夏休みに見た空だ」と思いました。心が自由になり、子どもに戻ったような開放感がありました。
その旅をきっかけにタイを何度も訪れるようになり、タイ語を学び始め、タイの象病院を支援するNGOにボランティアとして関わるようになりました。スタディーツアーのコーディネーターを務めたこともあります。私のニックネーム「らくちゃん」は、タイ語で「象が好き」という意味の“รักช้าง(rak chang)”からつけたものです。
そして30歳を過ぎた頃、私はついにタイへの単身移住を決意します。仕事も住む場所も決まっていない状態で、現地で職探し。最終的にアユタヤにある日系工場で通訳の職を得て、タイでの生活が始まりました。
「独身の女性が、30歳を過ぎて、メジャーでもないタイ語を学ぶために海外に行くなんて」と、両親からは強く反対されました。でも、私は聞きませんでした。それまで「親や先生、上司の言うことをきくのが良い子」という価値観の中で生きてきた私にとって、これは“遅すぎた反抗期”だったのかもしれません。
語学を仕事にするには遅すぎる年齢、先も見えない、保証もない——でも、不思議と「うまくいく気しかしない」感覚があったのです。
この経験が、今の原田メソッドにもつながっています。「自分の好き」「自分の強み」を起点に、自分の人生を自分で切り拓くという生き方を知った原点でした。
それまでの“無難だけど手ごたえのない人生”が、タイとの出会いによってカラフルに、ダイナミックに動き出しました。
その後のタイ語通訳としてのチャレンジについては、電子書籍にも詳しく書いています。よろしければ、そちらもご覧ください。





