こんにちは!
大人に絵本を読んでいる、絵本セラピスト🄬らくちゃんです。
動物画家の薮内正幸さんという方がいました。(2000年に逝去)
毛の一本一本まで描き込んだ精緻な動物画で、たくさんの動物図鑑や絵本を描かれていました。
現在は、山梨県にある「薮内正幸美術館」に、その作品の多くが所蔵され、原画を見ることができるそうです。
先日、この美術館の館長であり、薮内正幸さんの息子さんである薮内竜太さんのお話を聞く機会がありました。
わが家でも、息子たちが小さかった頃によく読んでいた動物絵本。
その画家さんのことは、実はよく知りませんでしたが、今回、とても印象的で心ふるえるお話を伺うことができました。
薮内正幸さんって、どんな人?
1940年大阪生まれ。
子どもの頃から無類の動物好きで、近所にあった天王寺動物園に通い、終日動物を観察していたそうです。
絵の技術は独学で、写真がない時代、観察してきた動物を記録する手段として、動物の絵を描き続けていました。
そこで培った観察力と写実的な絵の実力を認められ、当時福音館書店の編集長だった松居直さんに請われて、高校卒業後に上京、福音館書店に入社します。
図鑑、絵本の画を担当し、のちにフリーランスになって、図鑑、絵本、広告など幅広い分野の動物画家として活躍しました。
わが家で愛読していたのは、この2冊。
どちらも、お話はなく、いろんな動物の親子の姿が、写実的に描かれているだけです。
毛の質感までも感じられるような精緻な絵からは、躍動感や愛らしさ、母親の愛情までも描かれているかのようでした。
「あかちゃんえほん」と言われる部類で、まだストーリーや言葉を理解する前の、あかちゃんから楽しめる絵本。
うちにあったのは、姉のお下がりでもらった本でした。
私も動物が好きということもあり、よく子どもたちと眺めていたものです。
しかし、この「どうぶつのおやこ」は、1966年初版!
私が生まれる前からあった古典的名作でした。
息子たちが、数年前、お話にはまった「冒険者たち」(ガンバの冒険シリーズ)(斎藤惇夫:著 岩波少年文庫)の表紙も、薮内正幸さんの絵だったのですね。
講演会「好きこそものの上手なれ」
今回の講演会は、静岡県の伊豆修善寺にある「ギャラリー&スペース cotori(コトリ)」で開催されました。
10月17日(土)~31日(土)まで、「『しっぽのはたらき』 薮内正幸 動物画展」が開催されています。
それを記念して、薮内正幸氏の息子さんであり、「薮内正幸美術館」の館長でもある薮内竜太さんが、「好きこそものの上手なれ」と題した講演会をされました。
こういう時代なので、感染対策をしながら、会場での講演会だったのですが、オンライン参加もできました。
私は、自宅にいながらZoomで参加しました。
会場で展示されていたのは、「しっぽのはたらき」の原画。
これもやはり、精緻に描かれた動物たちの、しっぽのいろいろなはたらきについて、書かれた科学絵本です。
講演では、薮内正幸氏がどのようにして動物画家になったか、についてお話いただきました。
「好きこそものの上手なれ」のタイトルどおり、「動物が好き」という情熱に、数々の才能が足し合わさった結果、多くの傑作が生まれたことがわかりました。
天王寺動物園に日参し、終日、お昼も食べずに動物を観察していた子供時代。
動物図鑑を、図や絵もすべて書き写していた学生時代。
福音館書店入社後、国立科学博物館に通いつめ、骨格標本を模写し続けた「駆け出し」時代。
「好き」ということは、「動物が好き」なだけではないことがわかります。
観察することが好き。
細かいところに注目することが好き。
絵を描くことが好き。
正確、精密に描くことが好き。
動物について知ること、勉強することが好き。
いろんな「好き」という才能に、それを認め、引っ張り上げてくれた人との出会い、ご縁がありました。
印象的だったこと
今回の講演会で、特に印象的だったことが二つあります。
ひとつは、「子どもの『好き』に、水をささない」ということです。
薮内氏が動物園通いをしていた子どもの頃、動物観察が高じて、頭の中は今日見てきた動物のことでいっぱい。
たとえば、一日ライオンを観察していたとすると、家に帰っても頭の中はライオンのことで頭がいっぱいで、家の中で四つん這いになってライオンの動きを再現していたそうです。
そんな、ある意味「行き過ぎ」と思われるようなことも、温かく見守る雰囲気の家庭だったのですね。
特に、おじいさんが、やはり無類の動物好きで、正幸少年をいつも動物園に連れて行ってくれたり、当時では高価だった動物の本を買ってくれたりしたそうです。
こういう環境が、子どもの才能や可能性を開花させるのに、必要なことだと感じました。
もう一つは、すばらしい師との出会いです。
薮内正幸氏が子どもの頃愛読していた「動物とわたしたち」という本。
これを執筆したのは、当時著名な動物学者の高島春雄先生でした。
まだ子どもで、怖いもの知らず、世間知らずだった正幸少年は、著名な先生にも臆せず、質問や感想の手紙を送ったそうです。
高島先生は、誠実でまじめなお人柄らしく、子どもの手紙に、真摯で誠実な返事を書いてくれました。
それ以降も、正幸少年と高島先生の手紙での交流は続いたそうですが、著名な学者先生でありながら、子どもを子ども扱いせず、一人の人間として対等に接し、誠実に返事を書き、わからないことはわからないと言っています。
こういう大人の態度が、どれだけ子どもの自尊心を育て、「世の中は信頼できるところだ」という安心感を与えたでしょう。
その後、動物学者の今泉吉典氏とも、手紙のやり取りを始め、上京後は今泉氏の勤務する国立科学博物館に通いつめ、動物学を学んだり、骨格標本を模写したりしながら、確かな知識と技術を身につけていきました。
ちなみに、今泉吉典氏の息子さんは、数年前ベストセラーになった「ざんねんないきもの事典」の監修をされた、今泉忠明さんです。
天才という生き方
天才とは、夢中でやり続けられる才能のことを言うのだと思います。
世の中に、「天才」と言われる人がいます。
アスリート、音楽家、画家、棋士、作家、学者・・・
でも、何もせずいきなり素晴らしいパフォーマンスが出せた人はいません。
人一倍、それに打ち込んだ時間があったから、人より抜きんでた結果を残したと言えます。
薮内さんのお話を聞きながら、ずっと手塚治虫のことが頭に浮かんでいました。
薮内正幸氏は、60歳で逝去されました。
誰にも真似できない素晴らしい技術を思うと、早すぎる死が惜しまれてなりません。
日本の漫画界の巨匠手塚治虫も、子どもの頃から生き物が好きで、マンガが好きで、とにかくいつも何か描いていたそうです。
そして、薮内正幸氏と同じ60歳でこの世を去っています。
年齢だけ見ると、確かに早い・・・
しかし、残した作品は、いまだに輝きを失いません。
今、小中学生の私の息子たちも、薮内正幸氏の「どうぶつのおやこ」を読み、手塚治虫の「ブラックジャック」や「火の鳥」を読んでいました。
この世にいられる時間に命を燃やし切り、素晴らしい作品を残してくれた天才の生き方に、感動せずにはいられませんでした。