絵本作家であり、児童文学作家でもある富安陽子さんのエッセイ「童話作家のおかしな毎日」(偕成社)を読みました。
愛してやまない家族のこと、不思議な縁で結ばれたご両親の素敵なエピソード、戦争と富安家の人々のことなど、心温まるお話あり、くすっと笑える事件あり、共感できる視点あり。
さすが童話作家だけあって、とても読みやすく、それでいて引き込まれ、ついつい次を読んでしまう本でした。

みずみずしい感性と観察眼、目に見えない世界を感じるアンテナをお持ちで、すべてに対して温かく、優しい・・・こういう人だから、すぐれた子供の本が書けるんだなと思います。
この本の中で、富安さんが童話作家になったきっかけについても語られています。
子供の頃から、物語が大好きだった富安さん。
いつしか自分でも物語を書き始めたそうです。
高校1年、2年、3年と書いてきた作品がありました。
18歳の春、高校卒業の記念に、ご両親がこの作品を自費出版してくれたというのです。
結局、富安さんの生まれて初めてのこの童話集が、その後いろいろな形で目に止まり、童話作家としての道が開いていくことになります。
こういうエピソード、素敵だなと思う一方で、プレッシャーも感じてしまいます。
私は、こういう時、こんな気の利いた記念品を息子に贈れるだろうか?と。
たぶん、こうやって童話や小説、詩を好きで書いている高校生は他にもいるでしょう。
でも、多くの親は、それが将来の生きる道になるとは信じていません。
それは趣味として適当にしておいて、もっと現実的な仕事につながる努力をしなさい、という親が多いと思います。
まんがの神様手塚治虫も、医師免許を取った時、医師としてやっていくか、漫画家になるか悩んだそうです。
それを母親に相談したら、「あなたはどっちが好きなの?」「漫画です」「それじゃ、漫画家になりなさい」と言ったといいます。
私だったら、きっと「医者がいいんじゃない?」と言ってしまうと思います。
勉強ができないのに医者の道を強要することはありませんが、医師免許が取れていたならやっぱり・・・と思わないでしょうか。
そうしたら、今でも読み継がれる世界の宝ともいえるあの作品群は生まれていなかったかもしれません。

また、私が師事する原田メソッドの原田隆史先生も、荒れた中学校での仕事に苦戦し、精神的にも追い詰められて密かに「もうやめよう」と思ったことがあったそうです。
つらすぎて、身体的にも拒否反応が出てしまい、どうしても学校に行けずに家に帰ったところ、普段はマザーテレサのように優しいお母さんに「休むんじゃなく、やめるつもりやろ?仕事変えても同じこと。自分を変えなさい」と叱責され、目が覚めたということです。
これも、私だったらきっと、「もう充分がんばったよね、大変だったね、いいよ、先生なんか辞めても。仕事なら、なんとかなるよ」と言ってしまうでしょう。
さらに、うちの息子たちがお世話になってきた「花まる学習会」の代表、高濱正伸先生も、小学生の時にいじめに遭って学校がつらかった時期があったそうです。
お母さんには話していなかったものの、ある日学校から帰ったら、お母さんが何も聞かずにぎゅっと抱きしめ「あんたが元気だったら、それでいい」と言ったそうです。
それで気持ちが満たされ、立ち向かっていけるようになったとか。
私だったら・・・元気のない様子を見て、根掘り葉掘り聞いて、ハッパかけるかなぁ・・・
偉人たちの母のエピソードを聞くたびに、私自身母であることにプレッシャーを感じてしまいます。
こんな、人生を左右するような重い一言が言えるか、将来を切り拓くカギとなるようなことをしてあげられるか・・・
自信がありません。
まぁ、しょうがないですね。せめて、一緒にスラムダンクを読んで盛り上がったり、試合の送迎、応援に走り回ったりしてあげたことが、彼らの心の中で母との思い出として残ってくれれば、それでいいのかな、と思います。
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