読書

「種をまく人」SEEDFOLKS 心がほっこり温かくなる本

なんとなく、不安で不自由で、心がざわざわ、イライラするときがあります。

ステイホームで身動きができないなら、心の奥がほっこり温かくなる、こんな本はいかがですか?

 

「種をまく人」(ポール・フライシュマン:作 片岡しのぶ:訳 あすなろ書房)

 

波乱万丈のドラマがあるわけではありません。

ハラハラドキドキの、手に汗握るお話でもありません。

 

人種も年齢も違う、13人のオムニバス形式の物語。

誰の人生にもドラマがあり、ご縁でつながり、また新たなドラマを紡いでいくのだなぁ、と感じます。

 

はじまりは、ベトナム人の少女がまいた、マメの種でした。

クリーヴランド(アメリカ北東部オハイオ州の工業都市)の、移民たちが暮らすアパートに囲まれた空き地に、ある日東洋人の女の子がしゃがみこんで、土をほじっくているのを、老婦人が窓から目撃しました。

そこの空き地は、廃品が投げ込まれたごみ溜めのようになっていました。

そんなところに、こそこそ何かを埋めるなんて、きっとドラッグか、拳銃か・・・

その後も、その子は雨の日は来ませんでしたが、晴れた日は学校に行く途中に寄って何かをしているようでした。

自分で調べてみようと、女の子のいたあたりの土を掘ってみると、出てきたのは・・・

細いヒゲの出てきたばかりの、白いふやけたマメが3粒。

慌てて埋め戻しましたが、しばらくして少女は姿を見せなくなりました。

 

足が悪い老婦人は、同じアパートに住む、学校の用務員をしている男に頼んで、マメに水をやるように頼みました。

男は、ケンタッキーの小農家育ち。

マメが育ちやすいように、根元に土をかき寄せ、盛り上げてあげました。

 

マメに触発されて、男が空き地に小さな畑を作り始めると、それを見たグアテマラからの移民の老人が、身振り手振りで畑に入ってきて、何かを伝えようとします。

英語ができないその老人は、以前は部落の最長老で、農業をしていたのです。

翌日、家族に園芸用品店で移植ごてと小さな袋に入った4種類の種を買ってきてもらい、それを持って空き地にやってきます。

目を輝かせ、土を掘り返して畑を作り、種をまきはじめた老人・・・

 

その様子を見たある婦人が、「私も祖母がよく煎じて飲んでいたアキノキリンソウを植えてみようかしら」と思いつきます。

しかし、このゴミの山を撤去しなければ、畑作りはできません。

それは、市当局の仕事とばかり、市の公衆衛生課にかけあいに行きます。

 

というように、次から次と人の縁がつながり、行動がつながり、ゴミの山だった空き地はみずみずしい畑に変っていきます。

 

大きなプロジェクトをみんなで協力して成功させる話ではありません。

友だちですらなかった、言葉も通じないような、それぞれのバックグラウンドを持った人たちが、いつの間にか同じ空き地で植物を育てるようになるのです。

その中に、思いやりや協力、心のやすらぎや、植物の成長や実りを心待ちにする気持ちの共有、交流の楽しさも生まれてきます。

 

学校の用務員の男の言葉に、胸をつかれました。

「人生には、変えられないものが山ほどあります。

死んだ人間をいきかえらせることはできません。

この世から悪人がいなくなることも、わたしが百万長者に変身することもないでしょう。

だが、このゴミ捨て場の一角を畑にすることなら・・・

そうだ、どうにもならないことを一日じゅう考えているより、畑をつくるほうがよっぽどましだ。

髪の黒いあの女の子に、それを教わったんですよ。」(本文より引用)

 

私にも、「どうにもならないことを一日じゅう考えているより、よっぽどましなこと」があるはずです。

その行動が生んだ小さな「よきこと」の波紋が、自然と周りに伝わっていく・・・そんなことを教えてくれた一冊でした。

 

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