こんにちは!大人に絵本を読んでいる、絵本セラピスト🄬らくちゃんです。
毎月、自分で絵本セラピーを開催しよう!と決めました。
コロナの感染防止のため、リアルで集まるセミナーや講座は、開催しづらくなっています。
なので、私はオンライン会議室Zoomを使って開催。
8月、9月と開催してきて、10月も開催予定で、現在絵本を選定中です。
毎月開催したいわけ
絵本セラピーとは、絵本セラピストが何冊かの絵本を大人に読み、感想を分かち合ったり、簡単なワークをしたりする、大人のためのワークショップです。
絵本セラピストに求められるものは、絵本力(絵本の知識や読み解く力)、講師力、ファシリテーション力、読み聞かせの技術などがあります。
絵本セラピスト養成講座では、もちろんこれらのことを勉強し、プログラムを作って実践もします。
決められた回数の実践を経て、認定試験を受け、絵本セラピスト🄬の認定をもらいます。

しかし、絵本セラピストに求められる力には、「ここまでで充分」ということがありません。
常に学び続け、実践を重ね、気づきや改善点を次回に生かす・・・その繰り返しです。
参加者の方の思わぬ反応や、感動のシェア、絵本が大人の心に作用する化学反応のようなものに出会う経験も、セラピストの器を広げることになります。
私など、まだまだ駆け出し。
とにかく回数を重ね、経験を積んで、絵本セラピストとして成長していきたいと思ったのです。
そしてやっぱり、絵本を読みたい!
絵本の世界を共有した人たちに、笑顔になってもらいたい!
そのために、ちょっとムリして、「毎月開催」を自分に課してみたわけです。
選書と絵本探し
絵本セラピーの「基本のプログラム」では、5冊の絵本を使います。
それには、次のような役割があります。
- 場をなごませる、アイスブレイクになる絵本
- 参加者の自己紹介のネタを提供する絵本
- 自由感想を分かち合うための絵本
- ワークに使える絵本
- セラピストからのメッセージを伝える絵本
これらのことを頭に置いて、絵本を選ぶわけですが、手持ちの絵本では全然足りません。
自分が考えたテーマ、ターゲット、伝えたいメッセージなどに合わせて、インターネット、図書館、書店の絵本コーナーを探し回ります。
もちろん、季節行事や風物詩をタイムリーに入れられれば、それも素敵ですよね。
気になった作品は、まずレビューを見て、図書館から借りてきます。

雑誌の絵本特集や、絵本関係の雑誌もおおいに参考になります。

まずは、図書館で借りてきたら、家でゆっくりと読んでみる。
プログラムに組み入れてみる。
ぜひ読みたい、使いたい、となったら、出版社に「使用許可申請」を出します。
めでたく「使用を許可します」となれば、それから購入。
絵本、そんなに安くないですから、手当たり次第に買うわけにはいきません。
でも、絵本セラピーで使うとなれば、図書館で借りている本は使わず、購入します。
絵本で目の前の人に笑顔になってもらう。
絵本でこっそり世界平和。(絵本セラピスト協会のモットーです)
そのためには、絵本業界が元気でいてくれて、絵本作家さんがしっかり活躍できるようじゃなきゃいけない。
だから、自分でも絵本を買います。
そして、絵本セラピー参加者が、気に入ったら買っていただけるように、「手に入る」絵本を読むようにしています。
最近感じる選書のモヤモヤ
こうやって、絵本を探し回ることは、とても楽しいです。
図書館の絵本コーナーに座り込んで、次々絵本を読んでいく時間は、至福のひととき。
それでも、最近、もやっとしてしまうことがあります。
手に取って絵本を読みながら、
「これ、ワークに使えるかな?」
「プログラム〇冊目の絵本と、絵のタッチが似てるからはずそう」
「この出版社(また作家さん)は、オンライン不可の方針だから、今は買わない」
「翻訳ものは、使用許可申請が難しいから、いい本だけどやめておこう」
こんなことを考えています。
なんだか純粋に絵本を楽しめなくなってきたかも・・・
ちょっと寂しい気がします。
絵本探しも、悟りに至る道の途中
禅の入門書と言われる、「十牛図」というものがあります。
悟りに至るまでの禅修行の段階を、10枚の絵で分かりやすく示したものです。
一人の童子が、牛を探し求めるストーリー。
この牛は、「悟り」であり「本来の自分」の象徴です。
絵本探しをしている時、なぜだかふとこの「十牛図」のことを思い出しました。
何年も前に、茶道の勉強会で聞いた話。
その時のプリントも、まだ残っていました。

私が絵本で追求しようとしているものは、もしかしたら禅や哲学で語られるような境地なのかもしれません。
今の私は、当然そんな領域には、程遠いところにいます。
十牛図では、牛(悟り)を求める童子が、牛の足跡を見つけ、牛の姿の一部を見つけ、とうとう力づくで牛を捕えようとする図が4枚目にあります。

何かを習得しようとして、もがき苦しむさまを表しているようです。
力づくでいって、かえって身動きができなくなったり、道を見失ったり、迷ったり。
最近の自分のモヤモヤは、こういうことなんじゃないかという気がします。
この葛藤の段階を経て、牛を飼いならし、牛を忘れるほど自分と一体化する段階へと進んでいきます。
最終的に悟りの境地を楽しみ、人に教えを説くところで、十牛図は終わっています。
今、私が感じている違和感や悩みも、実践を続けているからこそ感じること。
成長のために必要なプロセスとして、大いに悩もうと思います。