こんにちは!タイ語翻訳者のらくちゃんです。
20年ほど前に、タイ人の友人からもらった絵を、最近あらためて額装して飾りました。
実家に置きっぱなしにして、ほとんど忘れていたもの。
78歳になる母が、終活のつもりか身の回りの整理をし始めて、「これ、いらないなら捨てるわよ」と持ってきたのでした。
懐かしい友人のこと、タイに通い詰めていたあの頃のこと、いろいろと思い出してしまいました。
タイの友人、テープスィリさんのこと
テープスィリ・スクソーパーさんは、タイ人の画家、イラストレーターで、作家でもあり、パフォーマンスもするアーティストです。
タイ北部の街チェンマイに住み、創作活動をしながら、国立チェンマイ大学で教えたりもしていたようです。
日本語に翻訳された彼の著作もあります。

20年ほど前のある時期、私はチェンマイの彼のアトリエを、頻繁に訪れていました。
その頃私は、ボランティアでタイの象の保護活動や、象専門病院のサポートをしていました。
きっかけは、森で地雷を踏み、足に大けがを負った象のニュースを見たことでした。
そのニュースを日本のNGOに知らせ、支援を呼びかけたのがテープスィリさんだったそうです。
NGOが発信したニュースを新聞で読んだ私は、募金をし、報告会を聞きに行ったりしているうちに、ボランティアでお手伝いするようになっていました。
地雷を踏んだ象への支援は、その後世界で初の象の義足プロジェクトとなり、象病院の運営支援、現地のNGO支援としてしばらく継続しました。
タイが好きで、タイ語を学び始めていた私は、スタディツアーのアテンドをして、参加者とともに現地の象病院やエレファントキャンプを回りました。
そしてこのニュースを日本につないだテープスィリさんのアトリエにも、度々訪れていたのです。
当時発行していたニュースレターに、その時の様子が載っていました。

左から2番目の男性がテープスィリさん、その右隣が私です。
ショートカットだったのね・・・若い・・・。
テープスィリさんから贈られた、一枚の絵
ある時、ツアーではなく、プライベートでチェンマイに遊びに行き、テープスィリさんのアトリエにも顔を出しました。
タイ流の付き合い方。
特にアポもとらずにふらりと訪ね、運よく家にいればおしゃべりをし、いなくても気にせず、その辺の人と世間話をして帰ってくる。
そんなことをしていました。
その時も、ちょっと寄って象病院の話や、日本の友人の話など、おしゃべりしたのだと思います。
しばらく話して、そろそろ帰ろうかと立ち上がったところで、「ジュンコ、これをあげる。持って行きなさい」と、一枚の絵をくれました。
まだ描き上げて間もないようで、机の上に置かれていた絵でした。
額にも入れてなければ、何の加工もしていない、むき出しの絵。
「ありがとう」と言って、もらってきたものの、ちょっぴり困りました。
クレパスのような画材で描かれたその絵は、触れると色が移るのです。
私は旅行者ですから、荷物はスーツケース1個。
絵が入る大きさでもなければ、服に色がつくので、入れられません。
結局、小学生の図工の作品を持ち帰るように、くるくると丸めて輪ゴムで止め、手で持って帰りました。
当時、東京で一人暮らしをしていた私は、そろそろタイ移住を考え、荷物をまとめにかかっていました。
そこで、この絵は実家に置いておくことにしました。
タイでの生活のこと、仕事探しのこと、タイ語修行のこと、これからの人生のことで頭がいっぱいで、テープスィリさんの絵のことは忘れていました。
私がいない間、今は亡き父が額に入れて、飾ってくれていた時期もありました。
しかし、実家も建て替え、いつの間にかこの絵も押し入れの奥にしまいこまれていたようです。
母が引っ張り出してきた時は、額のガラスは割れ、フレームは外れ、ひどい状態でした。
額装して生まれ変わりました
「いらないなら、捨てるわよ」と母が持ってきた絵は、割れた額も外され、むき出しの状態に戻っていました。

20年前、親交のあった大切な友人であり、タイの偉大な芸術家の作品、捨てるなんてとんでもない!
(忘れてたくせに・・・)
やはり、きちんと額装をして、大事に飾ることにしました。
幸い、次男が通っている絵画教室は、画材屋さんでもあります。
先生に絵を見てもらって、額装をお願いしました。

これが、テープスィリさんの署名。

絵画教室の先生いわく、イタリア製のいい紙を使っているとのこと。
けっして、その辺の画用紙に適当に描いたものじゃないそうです。
テープスィリさんの生まれ故郷、スコータイの森を描いたと言っていたこの絵に合わせて、ナチュラルな木のフレームで額装をしてもらいました。

写真はアクリル板に反射してきれいに撮れませんが、家の壁に飾り、少し離れて眺めてみるとしみじみいい絵だと思います。
スコータイの、生命力にあふれた森の奥深さを感じます。
テープスィリさん、どうしているかな・・・
あの頃は、スマホもLINEもありませんでした。
メールはありましたが、自由きままな芸術家だった彼は、そういうデジタルツールを使っていませんでした。
フェイスブックなんかも、やりそうにない人です。
私も、タイで就職し、自分の仕事や生活で忙しくなり、いつの間にか象病院の支援も、テープスィリさんとの交流も途絶えてしまいました。
今ではもう、連絡先もわかりません。
また、あの頃のようにトゥクトゥクに乗って、「ウモン寺に行って」と言えば、あそこに行けるかな。
そのお寺に行く道の途中に、テープスィリさんのアトリエはありました。
いつの日かまた、訪ねてみたいと思います。
20年前のタイで象の保護活動をしていた記事はこちら。↓
額装をしてもらった、絵画教室&画材屋さんの記事はこちら。↓

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