こんにちは!
大人に絵本を読んでいる、絵本セラピスト🄬らくちゃんです。
今朝、母が庭に作っている、小さな菜園の青虫取りを頼まれました。
庭に出てみると、朝露が葉っぱの上でキラキラ、コロコロ。


思わず、見とれてしまいます。
朝露のキラキラを見ていたら、一冊の絵本を思い出しました。
この絵本の中に、朝露に関する印象的な部分があるのです。

どんな絵本?
子ども向けの「たくさんのふしぎ傑作集」ですが、大人が読んでも考え込んでしまうような、ある意味哲学的に数学を見た絵本です。
というか、こんな抽象的な概念、子どもはどう受け止めるのだろう???と思ってしまいます。
「ぼくは、アリになってしまった」
という一文で始まります。
まるで、カフカの「変身」のような出だし。
アリになる前は、人間の数学者だった「ぼく」は、アリの視点でアリとして経験することで、いろいろ考え、感じ、発見します。
私は、算数や数学というものは、数字という絶対的なもので答えがでるもの、というイメージを持っていました。
その根本的な部分に、疑問を突き付けられました。
たとえば、「1とはなにか?」という問いに、どう答えるか・・・
あらためて定義しようとすると、考え込んでしまいます。
自分たちが学び、理解し、運用している数というものが、本当に絶対的なものだろうか?
そんな斬新な視点を与えてくれる絵本です。
朝露の中の悠久無限の世界
この絵本の中で、朝露について女王アリが語るシーンがあります。
滴のなかには、あざやかな光があふれていた。
色とりどりの光線が、ゆらゆら、きらきらと
たがいにいりまじっているのが、アリの目にもわかった。

ここで、朝の露をかぞえていたという女王アリ。
朝の露がたがいをうつしあい、うつりあうように、アリもささえあって生きている。
地上にあるものはすべて、たがいをてらしあって存在している。
たとえばあそのこの露には、百五十年まえ、オーストラリアの渓流の一部だった水がはいっている。
あっちの露には、三千年まえ、南インドの地中深くに眠っていた水もふくまれている。一つ一つの露には歴史があって、たくさんのものにささえられながらここまでやってきた。
だから、露にうつりこんでいるのは『いま』だけじゃない。
いまに連なる過去も、ちゃんとうつりこんでいるのよ
「アリになった数学者」本文より引用
そう思って朝露をのぞき込んでみると、なんだかくらくらしてきます。

そこからさらに、私たちの「数」の概念をくつがえすような、不思議な数の宇宙に迷い込んでいきます。
子どもだましじゃない、子どもの本を作る人たち
以前、動物画家の薮内正幸氏のことを書きました。
薮内氏は、写実的で正確な動物の絵を描くために、ふさふさのしっぽを自分につけ、四つん這いになって、走っている狐が突然方向転換した時、しっぽはどのようになるのかを検証して描いたそうです。

日本の昔話絵本や「スーホの白い馬」で有名な、赤羽末吉氏は、「つるにょうぼう」の絵を描くために、土地の習慣や風俗を調査し、和紙を厳選して、7年の月日をかけたといいます。
「キャベツめキャベツ」のかがくえほんの絵を描いた土橋とし子さんは、実際にキャベツと芽キャベツを畑に植えて観察し、3年かけて描いたというお話も聞きました。

この「アリになった数学者」の作者、森田真生氏は、絵本や児童書の作家ではありません。
「独立研究者」という肩書を持つ森田氏は、在野で数学の研究をしたり、講演や執筆活動をしています。
この絵本の執筆にあたって、森田氏は和歌山県の山中にある宿に、引きこもったそうです。
あるインタビュー記事にこんな記述がありました。
山の中で、夜は真っ暗闇。パンを部屋の隅に置いて、手足を使わず這いまわりながら、アゴだけ使ってパンを食べたりしながら、アリの気持ちを理解しようとしました。
絶句してしまいました。すごいですね・・・
彼らの気持ちになっていくうちに、僕はアリを見下していたなと
思ったというのです。
まいりました・・・
作者がアリの気持ちになりきって書いたこの絵本、おとなにこそおススメです。
そして、これを読んだ後には、庭の朝露の中に、悠久無限の世界が見えるようになるかもしれませんよ。
